数日、数週間、あるいは数か月や数年に渡る積み重ね、目標に向けた行動の過程で、色々な誘惑にかられ、あるいは挫折や難儀さを感じ、「もうこの作業は止めてしまおうか」「これまで続けてきたけど、もうあきらめてもいいよね」という、継続の放棄を選択したくなることがある。もっとも分かりやすい事例は「ダイエット」や「禁煙」だろうか。【Dumb Little Man】ではそのような場面においても、初心を貫徹し、衝動に抵抗するための6つのチェックリストを提示している。これらを思い返し、あるいは成しえることで、「白旗」を挙げてせっかく今日まで築き上げてきた実績を損なうことなく、明日もまた継続し続けられるだろう、という次第である。
今件では具体例として禁煙やダイエット、特にダイエットについて例を挙げて解説したが、世の中には「意図的に継続している事」、そしてそれに伴う「継続している事を止めたくなるような誘惑、衝動」は山のように存在する。時として継続している行為がまったくの無駄骨な場合もあるが、大抵においては日々続けているだけで価値を生み、そしてその価値を高めていく。
いわゆる「継続は力なり」というものである。場合によっては一生の宝もの、お金では調達できない、人生の糧となりうることもあるだろう。
↑ 今記事の動画版。併せて視聴いただければ幸いである
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【トーマス・エジソンから学ぶ7つの人生訓】
1.今日一日だけのことを考えてみる
例えば「半年で5キロやせる」というダイエットを目標に掲げた場合、今日一日で5キロやせる必要は無い。そして半年後、それがうまくいくか否か、今の時点では誰にも分からない(だからこそ、「うまく行く確率」を上げるために日々努力してきたわけだが)。今日一日でいきなり目標まで達成することは、自分自身も含めて誰も求めていない。
「今止めたい」と思ったのなら、「これからずっと」ではなく、「今日一日だけ」止めてみる。つまり「もうオシマイ」ではなく、「今日だけ小休止・中休み」をするわけだ。あるいは明日以降に向けた絶縁そのものは明日に延期し、今日はとりあえず継続するなり小休止にとどめ、明日もう一度考えてみるのも良いだろう。継続していたことを止めた(止めようとした)自分に「もったいなさ」を覚え、(禅問答ではないが)「止めることを止める」と考えるようになるかもしれない。
2.まずは行動を起こす
継続している行動を止めてしまうと、これまで続けてきた「勢い」が失われてしまい、再びその勢いを取り戻すのは難しい(「1.」でも「一度止める」のではなく、「小休止」「中休み」にすべきと述べているのはこれに起因する)。「止めたいな」という疑問を頭に浮かべるようになったら、まずはそれについて色々と思考を巡らせるより、日々のノルマを果たすべく動いてみる。半ば日常習慣化した「積み重ね」が、ノリと共に継続の勢いを後押しし、多少の誘惑など跳ね飛ばしてしまう。
3.自分のこれまでの実績を振りかえる
あきらめの衝動を覚える時、得てしてゴールがあまりにも遠いように見えたり、自分が何も成し得ていないかのような誤解を感じていることがある。そして人は得てして自分のことを過小評価・厳しく見る。自分がこれまで一連の積み重ねで何を成し得てきたのか、どこまでゴールに近づいてきたのかを確認し、自分の行為に自信を持つことが大切。日々の積み重ね・形跡が目に見える形になっていれば、それは容易なものとなる。
4.ちょっと違ったことをしてみる
【アインシュタイン氏から学べる10の「力がみなぎる方程式」】の「同じことを繰り返しているのに異なる結果に期待しない」にもあるが、同じことばかりを繰り返しては、同じような結果しか期待できない。同じような努力を続けても先が見えず、挫折してしまいたくなる場合、手法をほんの少し変えてみるのも一つの手といえる。一つの手法で上手くいかないからといって、目標そのものをあきらめる必要は無い。別の手立てを考えれば良いだけの話。
5.結果には目を伏せて日々の行動をしてみる
発想の転換的な考え方。毎日の努力は、しかるべき目標に向けてのものだが、目標が明確化されていると時として「毎日の行動・努力」が重圧となることがある。目標の姿があまりにも巨大すぎ、日々の積み重ねによる前進が相対的に小さく見え、あるいは後退している場合すらあるため、やる気をそがれてしまう。
その場合、最終的な目標はあえて無視、日々のノルマのみに注力してみる。「1.」の「半年で5キロやせる」ために「通勤の行き帰りで三駅分歩く」「ジュースは飲まない」と決めていたら、「5キロやせるために歩いてジュース断ち」と考えるのではなく、単に毎日「三駅歩こう」「ジュースは飲まないようにしよう」とだけ考えるわけだ。特に目標も決めずに貯金箱に小銭を入れていたら、いつの間にか小旅行用の経費である目標の5万円が溜まっていた、というイメージが近いかもしれない。
6.目標達成の時の「報酬」を思い返す
「5.」などは逆の発想になるが、目指す目標にたどりついた時、自分が勝ち得るものを再確認・想像し、その状況を想像し、モチベーションを高めるのも一つの、そして有効な手立て。「半年で5キロやせる」なら「着たかったあの服が着られる」が好例だろう。
例えば「半年で5キロやせる」というダイエットを目標に掲げた場合、今日一日で5キロやせる必要は無い。そして半年後、それがうまくいくか否か、今の時点では誰にも分からない(だからこそ、「うまく行く確率」を上げるために日々努力してきたわけだが)。今日一日でいきなり目標まで達成することは、自分自身も含めて誰も求めていない。
「今止めたい」と思ったのなら、「これからずっと」ではなく、「今日一日だけ」止めてみる。つまり「もうオシマイ」ではなく、「今日だけ小休止・中休み」をするわけだ。あるいは明日以降に向けた絶縁そのものは明日に延期し、今日はとりあえず継続するなり小休止にとどめ、明日もう一度考えてみるのも良いだろう。継続していたことを止めた(止めようとした)自分に「もったいなさ」を覚え、(禅問答ではないが)「止めることを止める」と考えるようになるかもしれない。
2.まずは行動を起こす
継続している行動を止めてしまうと、これまで続けてきた「勢い」が失われてしまい、再びその勢いを取り戻すのは難しい(「1.」でも「一度止める」のではなく、「小休止」「中休み」にすべきと述べているのはこれに起因する)。「止めたいな」という疑問を頭に浮かべるようになったら、まずはそれについて色々と思考を巡らせるより、日々のノルマを果たすべく動いてみる。半ば日常習慣化した「積み重ね」が、ノリと共に継続の勢いを後押しし、多少の誘惑など跳ね飛ばしてしまう。
3.自分のこれまでの実績を振りかえる
あきらめの衝動を覚える時、得てしてゴールがあまりにも遠いように見えたり、自分が何も成し得ていないかのような誤解を感じていることがある。そして人は得てして自分のことを過小評価・厳しく見る。自分がこれまで一連の積み重ねで何を成し得てきたのか、どこまでゴールに近づいてきたのかを確認し、自分の行為に自信を持つことが大切。日々の積み重ね・形跡が目に見える形になっていれば、それは容易なものとなる。
4.ちょっと違ったことをしてみる
【アインシュタイン氏から学べる10の「力がみなぎる方程式」】の「同じことを繰り返しているのに異なる結果に期待しない」にもあるが、同じことばかりを繰り返しては、同じような結果しか期待できない。同じような努力を続けても先が見えず、挫折してしまいたくなる場合、手法をほんの少し変えてみるのも一つの手といえる。一つの手法で上手くいかないからといって、目標そのものをあきらめる必要は無い。別の手立てを考えれば良いだけの話。
5.結果には目を伏せて日々の行動をしてみる
発想の転換的な考え方。毎日の努力は、しかるべき目標に向けてのものだが、目標が明確化されていると時として「毎日の行動・努力」が重圧となることがある。目標の姿があまりにも巨大すぎ、日々の積み重ねによる前進が相対的に小さく見え、あるいは後退している場合すらあるため、やる気をそがれてしまう。
その場合、最終的な目標はあえて無視、日々のノルマのみに注力してみる。「1.」の「半年で5キロやせる」ために「通勤の行き帰りで三駅分歩く」「ジュースは飲まない」と決めていたら、「5キロやせるために歩いてジュース断ち」と考えるのではなく、単に毎日「三駅歩こう」「ジュースは飲まないようにしよう」とだけ考えるわけだ。特に目標も決めずに貯金箱に小銭を入れていたら、いつの間にか小旅行用の経費である目標の5万円が溜まっていた、というイメージが近いかもしれない。
6.目標達成の時の「報酬」を思い返す
「5.」などは逆の発想になるが、目指す目標にたどりついた時、自分が勝ち得るものを再確認・想像し、その状況を想像し、モチベーションを高めるのも一つの、そして有効な手立て。「半年で5キロやせる」なら「着たかったあの服が着られる」が好例だろう。
今件では具体例として禁煙やダイエット、特にダイエットについて例を挙げて解説したが、世の中には「意図的に継続している事」、そしてそれに伴う「継続している事を止めたくなるような誘惑、衝動」は山のように存在する。時として継続している行為がまったくの無駄骨な場合もあるが、大抵においては日々続けているだけで価値を生み、そしてその価値を高めていく。
いわゆる「継続は力なり」というものである。場合によっては一生の宝もの、お金では調達できない、人生の糧となりうることもあるだろう。
↑ 今記事の動画版。併せて視聴いただければ幸いである
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